2012年05月20日
Festival at Jailolo-2









18日は村を訪ねました。踊りと楽器の演奏と歌。棕櫚縄つくり、箒つくり、竹筒でのご飯を炊き、椰子酒つくり等、伝統的な料理や文化を見せてくれました。ナマハゲの祖先みたいな人は悪魔だそうです。白いお面は良い人あるいは祖先の象徴らしいです。 2012年05月19日
5月13日ー19日 Festival at Jairlolo その1








ジャイロロ港内はサンゴ礁が多くアンカリングスペースが充分でないのでヨット長屋(Jairloloロングハウス)状態です。テンダーの上陸地点は魚市場の桟橋。荷揚げ場に続く市場の裏はプラスチックゴミで埋め尽くされているゴミ捨てどぶ板桟橋。小型の鰹、グルクン、鯵、鰯等を売っているので何度かトライしたけれど・・・ここで魚を買う気になれませんでした。
お祭り広場が長屋のすぐ目の前なので朝から晩までボリュームをいっぱいに上げたマイクから騒音が途切れることなく朝5時から夜中の12時迄届けられ、苦痛を強いられています。広場のセレモニーで政治家の演説は長く長く続いて、テントの下で熱射病になりかけました。演説はいいからインドネシア中に溢れるこのプラスチックゴミ何とかしてくれ〜!!
独特な音楽をお届けできないのは残念ですが「The Amazing of Golden Spice
Island」と名づけられたジャイロロのFestibalで西ハルマヘラ地方の踊りや風習を垣間見る事は興味深いかと思うので写真をアップします。ジャイロロのスルタンを訪ねたのは15日。町中で魚バーベキューをしたのは17日です。
2012年05月17日
5月13日 ジャイロロ(Jairlolo)



13日は早朝から昼までスコールが続いて良く揺れた。夕方ジャイロロ湾内(01°03′53″N, 127°28′19″E)に到着し、7艇ぴったり並んで、互いにシートで繋ぎあってアンカリングした。14日から1週間にわたるフェスティバルが開かれる予定。ハルマヘラ島(ジャイロロ島)はマルク諸島で最も大きい島。北東は太平洋、南東はハルマヘラ海、西はマルク海峡に面して、熱帯雨林に覆われた山がちの島で人口は少ない。ジャイロロが島の中心の町。ハルマヘラ島の西海岸沖合いにはテルナテ島、ティドレ島がありクローブ(丁子)の原産地としてヨーロッパ人が到達する以前から中国人やマレー人の商人が訪れて香辛料貿易で栄え、スルタンが治めるテルナテ王国はインドネシア東部全域に勢力を広げていた。16世紀初めにポルトガル人がきて以来、オランダ、スペインも加わって支配権争いの舞台となり、最終的にオランダ領東インドに組み込まれた。インドネシア独立後はマルク州だったが、今は1999年に成立した北マルク州の一部となった。
2012年05月17日
5月12日 アドゥイ(Adui)島


Loloda湾内アドゥイ島前(01°40′96″N, 127°32′39″E)にアンカリング。男達が5人ライフルも携えて小舟に乗り訪ねてきたが、水深が40mからすぐに5mでコーラルのある場所なのでまだアンカー位置が定まらない最中でこちらは忙しい。傍のコーラルには泳いでいる人も小舟もいるので、ライフルを見せられたからといって構っても居られない。言葉が通じないのでラリーのパンフレットを見せてモロタイからジャイロロヘ向っている事、一晩だけここに停泊する事を身振り手繰りを混ぜて納得して帰ってもらう。バナナ売りも来たが必要ないのでこれもごめんなさい。発電機から水が出ていない。キングストンをチェックしたが異常なし、インペラがおかしいらしい。次回のアンカリング時にはまた船底に潜らなければ・・・ 泳ぐ時間も元気も足りない。湾内にある滝は遠く眺めただけだがこのあたりで有名な滝らしい。
2012年05月17日
5月11日 ハルマヘラ(Halmahera)島


ラリーの次の寄港予定地ジャイロロが、ハルマヘラ島の西海岸なので、6日のアンカリング地点ハルマヘラ島の北(02°11′00″N, 127°59′07″E)に戻る。湾内ではココナツの積み出し船が作 業中。日が暮れる前に発電機の冷却水ポンプを分解し、排水シールとオイルシールを交換。「Court Jester」のWさんが手助けしてくれる。彼はトラックを7台使って運送会社
をやっていたのだそうで、ノーザンライトもカミンズも含めいろいろなエンジンに詳しく「Court Jester」(Cavalier45ft)は実に多様な道具を積んでいた。
2012年05月16日
5月9日〜10日 モロタイ島観光









2枚は8日の歓迎ディナーの写真です。5月9日は、用意してくれたバスで観光に行きました。私達を散々悩ませた海に浮かぶ丸太は桟橋から飛び込む子供達の絶好の遊び道具。
モロタイ島は1944年9月から45年にかけて太平洋戦争の戦場となり、マッカーサーが率いる米軍が上陸し、多勢に無勢で日本軍が敗退。その後も、連合軍側の空襲拠点や後方基地として太平洋戦争に巻き込まれてしまった島です。1974年まで終戦を知らずにジャングルに潜んで生き延びて台湾に帰国された元日本兵の中村(李)さんはこの島のジャングルに1人隠れ住んで居たそうです。私達は日本兵の遺体が20数体見つかったいう場所へ慰霊に訪れ、他艇の西洋人達は連合国側という事で米兵の墓地へと案内されました。その後、バスで合流、飛行場やココナツソースの製造をみたり、学校の前で子供達が踊ってくれたり多くの好意に甘えていました。夜は広場で地元のさまざまな踊りが私達の為に披露されました。男性の合唱隊がとても美しい歌声で踊りながら歌ってくれました。
10日は、滞在中にポートしてくれていた役場の若者達とDodola島の浜辺にランチを持っての海水浴。町へ戻ってから海辺のレストランでカラオケとダンスのサヨナラパーティー。
2012年05月16日
5月7日〜8日 モロタイ島(Morotai) Deruba









ラリーの公式寄港地のMorotai島のDeruba(02°03′15″N, 128°17′29″E)にスケジュールに間に合うように着く事が出来ました。町が用意してくれていたイベントにもなんとか間に合いこれから先はオーバーナイトで急がなくてもラリーのスケジュールに間に合いそうです。モロタイ島は北マルク州にありマルク諸島で最も北寄りに位置している島です。このあたりはGPS上の位置と実際居る場所が大きくずれていて、GPS上では今、Laylaは陸上にアンカリングしている事になっています。そんな所なのに近頃、船に設置してある水深計が働かなくなってしまっているので予備のハンディ水深計を持ちスターンのステップに降りて計測してアンカリングの場所を決めている状況です。
8日朝に飾り付けをした小舟が沢山現れ、指示どうりに上陸すると大勢の住民と踊りと楽団が待っていてくれて町を挙げての歓迎式典が始まりました。夜は町長の公邸でディナーと演奏で遅くまで盛り上がりました。カラオケが大好きな明るい人たちでした。
2012年05月13日
5月5日-6日 Halmahera Bisoa岬





5日6時半に出発。オーバーナイトで約30時間、ハルマヘラ島まで約180マイルを走る予定。風向計は360°回っていて壊れた振り子のよう、今日もエンジング。夜はいつものように3時間毎のワッチで朝を待つ。今夜は満月が明るく雲も多いので星はお休み。6日5時、海面に光が溢れて周囲が白く輝きだす、上空の白雲がサーモンピンクに染まりだしたが、東の空は藤色の厚い雲に覆われ主役はなかなか顔を出さないけれど、朝が来て空が淡いブルーに変わった。13時頃にHalmahera Bisoa岬をまわった所でアンカリング(02°11′22″N,
127°58′82″E)。皆、疲れているのか無線も静かな夕焼け。
2012年05月13日
5月3日-4日 Gangga







3日朝、スラウェシ島(Sulawesi)を離れる。「Ingrid 」は注文した部品待ち中という。他の艇もなかなか出ずにManadoに留まるっていて、結局出発したのは「Gypsy Rose」と「Layla」のみだった。このあたりは潮 流が早く方向もさまざまで川のように流れている。昼過ぎにGangga Island Resortの前に(01°45′60″N, 125°03′31″E)にアンカリングした。海底は珊瑚、水深12m。
何処かで誰かから貰ってしまった風邪がなかなか抜けず、昔なら風邪等へっちゃらでスノーケルかダイビングだとすぐに海に飛び込みたい所だが、この海域でのヨット旅はなかなか大変。まずはダイビングボートの船着場からホースを借りてポリタンに水を貰い船に運ぶ。3日は発電機のメンテナンスでリゾートを目の前にしてイセエビよろしく穴倉に潜り込んで、Tは汗ダクダクのオイルまみれ。やっと終わってほっとした頃、ちょうど漁師が現れ五色海老を差し出されて笑顔になる。一匹15万ルピーと少々高いが、ご褒美に刺身を作ろう。
このラリーの海域はマリーナが無いのでアンカリングに慣れたけれど、リゾートでノンビリしたくても走錨の心配が付きまとっている。それでも4日朝は上陸。フロントに洗濯物を頼んでモーニングブッフェでゆっくりコーヒーを楽しみ、昼過ぎに到着した4艇と合流し、プールサイドで寝転んで過ごす、今夜はナシゴレンの顔を見ることなく、コース料理(@15USドル)でモツァレラチーズにトマト、スープとステーキ、アイスクリーム。
離れがたいリゾートだが、既に23時、最後はドシャブリのスコールの合間に、洗濯物の大きなビニール袋を2つ抱えて白く細かな砂浜を離れテンダーに乗り込む。
2012年05月03日
4月30日−5月1日 Manado







そろそろ人もヨットも疲れが出てきたらしく、「Island Time 」のMさんが高熱を出したらしい。「Ingrid 」ではエンジンの調子がおかしい。LaylaでもMが風邪気味。Kwandangには 28日・29日とアンカリングてしまった。バイクの前に2人掛けの座席をつけた乗り物に乗って買い物に行った。小さな町で店も品数も少なく売っているところを見つけるのが難しかった。あちこち回った挙句すぐ近くに魚屋があった事がわかったりしたが、プリペイドの電話代のチャージ、イカと蛸、野菜、水、ビールを仕入れ、少し冷蔵庫を満たす事が出来た。30日9時にアンカーを上げてオーバーナイトの予定でManadoへ向う。
15時「Island Time 」がオルタネータ故障でエンジン停止したと無線が入る。4時半「Ingrid
」と「Court Jester」が付き添って残り、他の3艇は後ろ髪を引かれる思いだが先行した。18時「Island Time 」のエンジンが動かせるようになったとの無線にほっとする。マスト
トップの上で半月が明かるい。19時には後方の水平線上にかすかに灯りが見え隠れするようになり、2つ3つと増えた。後発3艇が追いついてきていると一安心。
Manado(01°29′39″N, 124°;49′85″E)も岸に張り付いた20m程度の水深の場所は僅かしかなく、すぐに深くなるので、6艇は互いにギリギリのスペースでアンカリングした。スコールが来ると振り回されるので落ち着かない状況だが、何とかおさまり、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、Muluti Martという大きなスーパーがすぐ近くにあるので皆喜
んでいる。
2012年04月28日
4月26日−27日 Kwandang
朝、ジプシーローズのアンカーが揚げられず、Pさんがタンクを背負って潜って外す、大きな珊瑚の下にもぐってしまっていたそうだ。はずした直後に、エンジンの排気ガスのホースが爆発したらしく出発が遅れた。後で聞いた所、排気ガスのチェックバルブ(逆止弁)が閉じたまま固着してしまったらしい。大きなU字配管があるので必要ないと考えチェックバルブを外し事なきを得て出発した。ただし、船内の掃除は大変で2時間掛かったそうだ。
このあたりは島を離れると急に水深が増してくる。ダイビングには良さそうなのだがダイビングを楽しむほどの時間がなくて残念。日暮れ前に辿り着けるのにはちょうど良い深さで6艇がアンカリングできる場所が少ない。燃料を補給する必要があるという艇もあり、この際、またオーバーナイトでKwandangに行く事にする。
(00°51′70″N, 122°54′07″E)にアンカリング。Kwandangでの燃料補給の手はずをレイモンドに頼んで置いたので昼に迎えの車が到着、少し大きな町だがガソリンスタンドまで車で片道1時間半、スタンドで待つこと2時間、やっとタンクローリーが来た。スタンドは車とバイクで溢れて患者を運んでいる救急車まで待たされていた。
燃料補給に2回往復し、水の補給、ビールの補給、重いものばかりで暑い中汗だくの重労働にすっかり皆疲れ果てて夜になり、明日も一日ここにいることに決めた。





このあたりは島を離れると急に水深が増してくる。ダイビングには良さそうなのだがダイビングを楽しむほどの時間がなくて残念。日暮れ前に辿り着けるのにはちょうど良い深さで6艇がアンカリングできる場所が少ない。燃料を補給する必要があるという艇もあり、この際、またオーバーナイトでKwandangに行く事にする。
(00°51′70″N, 122°54′07″E)にアンカリング。Kwandangでの燃料補給の手はずをレイモンドに頼んで置いたので昼に迎えの車が到着、少し大きな町だがガソリンスタンドまで車で片道1時間半、スタンドで待つこと2時間、やっとタンクローリーが来た。スタンドは車とバイクで溢れて患者を運んでいる救急車まで待たされていた。
燃料補給に2回往復し、水の補給、ビールの補給、重いものばかりで暑い中汗だくの重労働にすっかり皆疲れ果てて夜になり、明日も一日ここにいることに決めた。





2012年04月28日
4月24日−25日 北スラウェシ Laolalang bay


北スラウェシに行く為、オーバーナイトでセレベス海の145マイルを渡る。レイモンドはTolitoliでの燃料補給を勧めていたが、回り道になるのでLingadangの近く、Laolalang bayに行く事にした。P.kakabanやP.Maratuaのリーフあ たりで水深が200mに、そして1000m単位で落ち込んで行って4000mへと一気に深くなり透明度も増し色が綺麗になった。マストトップのライトの前には銀河、その光景をまねているかのように海の上でもバウ(船首)からスターン(船尾)へと流れる白い泡の帯の中で夜光虫がかすかにきらめく。朝まで近くを一緒に走ろうと呼びかけて来たIngrid の灯りが穏やかな波の上をゆらゆら渡って
Laylaへと届いている。2艇は並んで仲良く手を繋いでいるように朝まで走った。午前0時(01°41′49″N, 119°57′47″E)自分達の6艇の航海灯以外は星しかない。
朝日が昇り強烈な光の道が現れた。6時半(01°31′89″N, 120°29′19″E)元気を出してジブを出して昼まで走り、Laolalang bay(01°20′13″N, 120°55′50″E)にアンカリング。島に張り
付いたような16mの幅の場所は幅狭く上手く停めたと思うとすぐ後ろに珊瑚の浅瀬が迫っている。打ち直そうとあげると何かに引っかかってアンカーが動かなくなる方向を変えて何とかアンカーを引き上げ少しだけ位置を変えてアンカーを降ろす、各艇そんな事の繰返しでライン上に並んで一夜を過ごす。
BelonliohとGPSに記載されているのは目の前の村の名前だろうか? 子供達が舟を漕いでやってきて、珍しがって周りで大勢はしゃいでお菓子をねだる。しまいには大人も混じって見物に来た。ジョニ黒は持っていないかと自称マグロ漁の漁師の男も寄ってくる。もちろん断る。
2012年04月28日
4月23日 P.Samama






いつものように6時半に出発し、P.Samamaまで。Samamaのあたりは珊瑚礁、浅瀬、干潟が広がっている。小さな島もいくつかある所で、水深はもちろんだが太い丸太や椰子も浮いているので気を使う。サンゴ礁の端の岩が混じるあたりにアンカリングした。海図では水深10mとなっていたけれど実際は30mだったので移動し打ち直した。船の水深計で7m・ハンドキャリーの水深計では5.6mの場所(2°08′85″N, 118°18′70″E)に落ち着く。
町で買ったビールの箱はどんな裏があるのか裏返してあった。最近は入手できるのが瓶ビールになり重くはなったがやっぱり瓶ビールは美味しい
2012年04月28日
4月22日 Tg Tanahguning

朝から激しい雨が降っている。スコールではなく空一面に本格的な雨曇。7時、雨が少し弱まった隙にテンダーをデッキに引き上げ出港準備。アンカーを揚げるとチェーンが1mぐらいの角材を巻いて上がってきた。アンカーには大きなプラ袋と釣り糸が絡み付いていた。どちらもちょっと重くて取り外すのに手間が掛かったが流れの速い港内で3日間、これらがアンカーのサポートをしていたのかも知れないので喜ぶべき事なのかも知れない。騒々しいタラカンを離れてホッとした。13時を過ぎて雨も上がり、16時にTg Tanahguningに(2°38′05″N, 117°49′40″E)にアンカリング。水深は7m。静かな岸辺を眺め
ながらぐっすり眠る。
2012年04月28日
4月19日−21日 タラカン市内









タラカンの上陸地点は海老の養殖会社の積み出し用桟橋で日本と香港に送っているのだそうです。桟橋の飲食店はポリスの溜まり場になっているし、会社の入り口に警備所もあり、安心できる場所です。桟橋の写真、歓迎パーティー、マングローブ蟹のレストラン「KENARI」、オーストラリアの戦争記念館の日本刀(偽物でした)などアップします。2012年04月21日
4月18日 タラカン島(Tarakan Island)









タラカンはカリマンタン島の東側、セレベス海にある島です。第二次世界大戦でオランダ領だったインドネシアに侵攻した日本軍が、まず最初に石油基地であるタラカン(Tarakan)島を攻略し、次いで石油精製基地があり、積み出し港でもあるバリックパパン(Balikpapan)に向かった戦史は、ご存知の方も多いと思います。未明の4時から雷雨があり、スコールが断続的に7時頃まで続いたのでBunyu島は8時に出発。11時の転流時を狙いTg Batuの航路を通るつもりが、向かい潮が続きTengkayu Portには13
時に到着。海老の積出港の前(3°17′29″N, 117°35′22″E)にアンカリングしました。ラリーの主催者レイモンドが待っていてくれて入国手続きもスムースに済み、桟橋のビールもBINTANGビールに変わりました。
2012年04月21日
4月17日 Bunyu島





6時半にタワウを発ち、浅瀬にはやはり漁小屋が沢山並んでいるのでその間を抜けて走りました。このあたりは台風が来ないのでこんな漁が可能なのでしょう。すっかりボルネオに長居をしてボロボロになるまで揚げていたマレーシアの国旗を降ろし、赤と白のインドネシアの国旗を揚げました。インドネシア領に入ると同じ島ですがボルネオからカリマンタンに呼称が変わります。
途中、プラゴミの潮目を抜けて、浅瀬が多くて潮が早い海域を通り、今日はBunyuという島(3°27′34″N, 117°50′20″E)にアンカリング。水深8.6m。漁から帰ってきた
らしい舟を手招きで呼んで30センチぐらいの新鮮な魚を3匹買えました。貨幣が変わり、漁師は英語を話さないので値段はわからず、「ルピア」というのみでこちらに任せるというしぐさ。物価もわからず紙幣にはやけにゼロが並んでいて、いくら払ったらいいのかと悩みましたが、20,000ルピア(160円)を出したら、漁師は満足そうに受け取ってくれました。久しぶりの刺身と焼き魚でこちらも大満足。
2012年04月20日
4月15日〜16日 タワウ(Tawau)








6時45分出発。8時頃、遠く霞んでいる丘の下の海上一面に船のような物が沢山あるのが見えた。海上集落かな?船かな?生簀かな?5〜8mの水深はあるので好奇心が湧いてLaylaだけ遠走りして見に行った。(4°18′18″N, 118°17′76″E) のあたり。人は住んでいない漁小屋で網を下ろしている物、揚げている物などさまざまで延々と点在していた。タワウヨットクラブ前(4°17′53″N, 117°52′5″E)にアンカリング。水深6m。
16日はタワウに滞在。イミグレーションとポートクリアランスを済ませた後、水と食料を仕入れ、船に積み込む。インドネシアでは手に入らないからとワインと洋酒も・・・
タワウヨットクラブは施設使用料25リンギで、プール・レストラン・ドライサウナ等もあり、バスタオルも貸してくれるので久しぶりのスチームサウナを楽しんだ。マネージャーのKim(欽)さんもスタッフも感じのいい人達で、バーで知り合ったメンバーとの会話も楽しかった。出港前夜には再会を約し別れたが大きな袋にいっぱいの氷をプレゼントしてくれた。
2012年04月20日
4月14日 Karang Erzherzog





前日の修理で疲れ果てたPさんが潮時に合わせて朝の出発を1時間遅くして欲しいと今日は7時半出発。いつものようにジプシーローズが先頭を切ってはいるがエンジンはまだ本調子じゃないのだろう。9時半頃に、Sempornaの町からTreacher Channelに入り4〜4.5ノットでタランタランと眠気を誘う走りが続い
た。 Channelを抜けて途中、久しぶりに丸太を引いている船に出会った。今夜はErzherzog
Reef(4°14′72″N, 118°22′95″E)の傍にアンカリング。このあたりは中型・小型の漁船が多く夜の漁を待ちアンカリング待機しているようだ。
2012年04月20日
4月13日 Gala I.




いつものように6時半発、10時にはエンジンを220回転に落としメインとジブを使って久しぶりにセーリング。225°に向けて6ノット。 12時風が落ちてLaylaはメインセールだけで藍色の縮緬上を滑っている。驚いた飛魚がその海面上を低く飛んで、空には絹の様に輝く雲が集まっている。
このあたりのボルネオ島側にはLahad Datu という町(5°00'N, 118°20'E )があり、そこに結婚式で隣席だったAさんの造船所がある。寄っていかないかと電話もくれていたので寄って行きたかったけれどちょっと遠回りになるので無理かと残念に思っていたのだが、13時40分ジプシーローズがオーバーヒート。日産のエンジンだが警報機を付けていなかったので冷却水のホースが破れ水漏れを起こしているのに気づかなかったそうだ。より以上、スローダウンして数時間漂うように走った後に回復したがアンカリング場所はGala I.のサンゴ礁に囲まれた小島Pulau Tetagan
(4°35′74″N, 118°43′68″E)になった。

